ひらがなにすれば、なかったことになるの? 表記で問題から目をそらしたくない。

ひらがなにすれば、なかったことになるの? 表記で問題から目をそらしたくない。

「障害」と「障がい」。巷にあふれる2つの表記。あなたは普段、どちらを使っていますか?

2022/11/20

先日、この「La diversité」で 点字のパッケージなんて誰も買わない? 化粧品ブランド「HEALOGY」の挑戦 という記事を掲載しました。
すると、こんな意見がTwitterのDMやコメントに届きました。 「障害という書き方が気になりました」 「障害と書くのは、差別の意図があるんですか」 といったものです。 記事を読んでいただければ、私が障害のある人に差別意識を持っていないことをご理解いただけると思いますが、この問題は私としても一度コンテンツ化しておいた方がいいと思い、今回、こうして記事にすることにします。
センシティブな内容なので、私の考えが正しいと強く主張するつもりはありません。 私はこういう考えをもっています、という表明でしかないことを、まずはご理解いただければと思います。

「障害」という言葉について

点字のパッケージなんて誰も買わない? 化粧品ブランド「HEALOGY」の挑戦 の中で、私、「障害」を「しょうがい」でもなく、「障がい」でもなく「障害」
世の中にあふれるコンテンツを見てみると、「障がい」「障害」「障碍」の2種類の表記が混在しています。 いま手元にある、共同通信社刊『記者ハンドブック 新聞用字用語集 第14版』を開いてみると、「しょうがい」は「障害」と表記すると記されています。 (あれ、おかしいな。つい先日、共同通信社版の記者ハンドブックを表記ルールに」定めている、某メディアの偉い人や同僚に「障害ってかくなんてあり得ない」という言葉と表情を頂戴したけれど、私はまちがっていなかったみたいです) では「障害」と「障碍」はどう違うのでしょうか。
Oxford Languagesの定義では ・害 きずつける。そこなう。悪い状態にする。 わざわい。(その)人に直接の原因が無い不幸な事件。 ・碍 邪魔をする。妨げる。 とされています。
これだけを見ると、大きな違いがないように思われます。 ではなぜ、3つの表記が混在しているのでしょうか?

「しょうがい」の表記について

2010年に内閣府の「障害」の表記に関する作業チームが発表したレポートによると、日本の法令における漢字表記は 「法令における漢字使用等につ いて」(昭和 56 年 10 月1日内閣法制次長通知)により、昭和 56 年 10 月1日 事務次官等会議申合せ「公用文における漢字使用等について」記1漢字使用 によること、つまり「常用漢字表」(昭和 56 年内閣告示第1号)によること
とされているようです。 また、「障害」及び「障碍(障礙)」の表記に関する歴史的変遷 については
「障害」については、遅くとも江戸末期には使用された用例があり、 他方、「障碍(礙)」については、もともと仏教語で、明治期に至るまで 「しょうげ」と読まれてきた語であり、「ものごとの発生、持続にあたっ てさまたげになること」を意味するが、仏教語から転じて平安末期以降 「悪魔、怨霊などが邪魔すること。さわり。障害。」の意味で多く使われ てきた。 明治期に入ると、「障碍(礙)」を「しょうがい」と読む用例が現れ、「障 碍(礙)」という一つの表記について、呉音で読む「しょうげ」と漢音で 読む「しょうがい」という二つの読み方が併存するようになる。こうし た不便な状況を解消するためということもあって、次第に「しょうげ= 障碍(礙)」と「しょうがい=障害」を書き分ける例が多くなり、大正期 になると、「しょうがい」の表記としては、「障碍(礙)」よりも「障害」 の方が一般的になる。 戦後、「当用漢字表」(昭和 21 年)や、国語審議会による「法令用語改 3 正例」(昭和 29 年等)が、その時点における「障害」と「障碍」の使用 実態に基づき、「障害」のみを採用した結果、一部で用いられていた「障 碍」という表記はほとんど使われなくなっていった。 ただし、戦前は、心身機能の損傷や、心身機能の損傷のある人を言い 表す場合に、現在用いられている「障害(者)」と同様の意味で「障害(者)」 や「障碍(者)」が用いられたことはほとんどなく 、別の言い方、いわゆ る差別的な言い方が用いられていた。
と書かれています。 また今後「障害」の表記に関する議論を進めるに当たって必要な観点として
・ 「障害(者)」の表記は、障害のある当事者(家族を含む。)のアイデ ンティティと密接な関係があるので、当事者がどのような呼称や表記を 望んでいるかに配慮すること。 ・ 「障害」の表記を社会モデルの観点から検討していくに当たっては、 障害者権利条約における障害者(persons with disabilities)の考え方、 ICF(国際生活機能分類)の障害概念、及び障害学における表記に関 する議論等との整合性に配慮すること。 これらを踏まえ、法令等における「障害」の表記については、当面、現状 の「障害」を用いることとし、今後、制度改革の集中期間内を目途に一定の 結論を得ることを目指すべきである。そのためには、障害は様々な障壁との 相互作用によって生ずるものであるという障害者権利条約の考え方を念頭に 置きつつ、それぞれの表記に関する考え方を国民に広く紹介し、各界各層の 議論を喚起するとともに、その動向やそれぞれの表記の普及状況等を注視し ながら、今後、更に検討を進め、意見集約を図っていく必要がある。 これによると、内閣府としても法令に鑑みて「障害」の表記をすすめつつ、当事者および当事者家族に配慮することが必要ということになりそうです。
と書かれています。
これによると、内閣府としても法令に鑑みて「障害」の表記をすすめつつ、当事者および当事者家族に配慮することが必要ということになりそうです。

なぜ3つの表記が混在しているのか?

上記のことを踏まえ、「障害」「障碍」「障がい」の3つの表記が混在している理由を考えてみたいと思います。 ・碍は常用漢字ではなく、一般的に使われるものではないので、読者にわかりにくい ・碍はもともと仏教用語で、宗教的要素を表記から排除するため ・「害」「碍」ともに差し障る、悪い状態などマイナスなイメージがあるため、当事者および当事者家族の心情に配慮し避ける
といった事情から、さまざまな表現が生まれたことは推察できます。
実際、3つの表記がどのように使用されているのか、Googleで検索してみると ・障がい 約 87,700,000 件 ・障害  約 543,000,000 件 ・障碍  約 291,000,000 件 のコンテンツがあることがわかりました(2022年11月22日12:30現在) こうしてみると「障碍」がもっとも使用されているということになるようです。
先程、内閣府では「障害」の表記がすすめられているようだと書きましたが、内閣府以外での方針を見てみましょう。
文部科学省では障害者基本法の抜本改正を見据えた資料の中に、「障害の表記」という項目があり、明確な方針は書かれていません。 しかし、この資料の中では「障害」という表記が使われており、内閣府と同じ考えに則ってのことだと推察することができるでしょう。 では、地方自治体はどうか。 内閣府が紹介する障害者施策のページには、「「障害」に係る「がい」の字に対する取扱いについて(表記を改めている都道府県・指定都市)」という資料があり、そこで「障がい」に表記を改めている都道府県8県(北海道、山形県、福島県、岐阜県、三重県、熊本県、大分県、宮崎県)と指定都市5市(札幌市、新潟市、浜松市、神戸市、福岡市)について紹介がされています。 地方自治体では、「障がい」と表記する例が増えているといってもいいかもしれません。
では、メディアはどうでしょう。 NHKの放送用語について外部識者を交えて検討している放送法後委員会が出した資料では「原則、障害」とされています。 また、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞など多くの新聞社は「障害」を利用しているところがほとんど。 しかし、障害の意識について読者に問いかけるアンケートや論説コラムなどが掲載されており、社会の求めに応じて変化をすることもあり得る印象も受けます。

なぜ「La diversité」では「害」を使うのか?

では、なぜ「La diversité」では「障害」を使っているのか。 それは、表記で障害を持つ方が抱えるさまざまな問題(不便さや差別など)をひらがなにすることで印象をやわらげたり、なかったことにするかのような印象を与えたくないからです。
身体機能や心にかしらの「不便さ」を抱えている人たちの総称を、日本社会は長い歴史の中で「障害者」と定めてきました。 つまり、マイナスイメージを彼らにもっていたからこそ「障害」という言葉を当てはめた事実がそこにはある。 実際、障害を持つ方々はあらゆる場面において、不便さや差別と向き合うことを余儀なくされてきました。
それは決して昔のことではなく、今現在も起きているし、おそらくこれからも悲しいけれど起こってしまう可能性がとても高いと私は考えています。 「人とは違う」存在に対して冷たく、厳しい態度をとる日本社会、日本人の意識が劇的に変わるとは思えませんから。
だからこそ、「La diversité」ではあえて「障がい」と「害」をひらがなにすることはしないと決めています。 障害者の方たちが背負い、向き合っているものを、ひらがなにすることで誤魔化したり、なかったことになんてできません。 ひらがなにすることが、本当に障害者の方たちのためになるのでしょうか? 私たちがすべきなのは、ひらがな表記にすることではなく、障害者の方たちが背負い、向き合っているものを一緒に解決していくこと、差別をなくしていくことです。 なかったことにすることでも、誤魔化すことでもありません。 表記を変えて配慮した振りをしたって、なにも解決しないのですから。
これはあくまで「La diversité」の方針です。 正解ではありません。 表記はそれぞれの人が、その人の価値観に則って行う自由があると思います(ただし、差別したり、傷つけたり、貶めたりする意図がある表現は自由には当たらない)。 ただ「La diversité」が願うのは、障害の問題だけではなく、あらゆる差別や不便さが、見なかったことにされたり、誤魔化されたりすることがない社会に日本がなってほしいということです。
みなさんも身近で「見なかったことにしてしまっている問題」はありませんか? その「見なかった振り」が誰かを傷つけているかもしれません。 どうか周りをよく見てみてください。 そして、「La diversité」と一緒に考えていきませんか? (文・榊原すずみ)

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